古武術稽古会柳心会2024年09月21日稽古録
杖:巴の稽古中に体捌きからの打込みについて暫し思案する。打ち込むのか切るのか……動きの動作としては変わらないので動いている人次第で良いのだが自分はどの様な意図で動いているか。身体の緩みと道具との一致が第一、その次に身体の扱い方、動作の意図はその次ぐらいか……閑話休題。
組杖:動きにおける「中心の捉え」と誘いをいかす間合いの詰め方が主題になったかと思う。打方の杖を巻き詰めて結果として肩を抜き崩す動きがあるが、抜き崩す動きに囚われると上達できなくなる。打方の持つ身体運動の癖によっていくらでも崩し方の方法が出てくる。その手段にフォーカスするのではなく、動きの根底となる「捉える」意識と働きを大切にしている。その為にまずは真直ぐに詰める動きから。
間合いの詰め方に関しては、構えから構えの変化の間が大切になる。この間と打方との間合いの取り方が妙となる。比較的打たせる気構えが弱いと間合いが近く、気が急ぐと遠くなる様だ。型の手順として、打方を嵌め込むことで動き易くなる。この辺りの理屈から動くと習得は早いようなきがする。
剣杖:ひきつづき一本目のみ稽古。手順と理合の解説から、杖先での間の押さえと構えが第一の型なので手順としてまずは覚えて貰いたい。この日の稽古では、打ち払う部分についても少し解説。刀の弱い部分を適切かつ的確に捉えるか、間を掴んでも稽古を続ける部分でもある。
体術:構えの入替から側面入身崩(切)で稽古。構えを入れ替える際の向身を大切にして貰いたい。この部分を雑に扱うと隙になる。側面入身崩では、腰の入りの為に足幅・腰の低さが必要か見せる。切を表現するときは足のひっかけ・つっかえではなく後下肢の橦木のつくりで出来るように練習。同時に受けは柔らかく働きを感じて後方受身を取るように。
居合:この日は久しぶりに七寸を抜いてみる。五寸五分を抜いている良い効果が出ていた。遣るべきことは変わらずとも短いからこそよりしっかりと適切に動く稽古は身になると実感できて何より。長さに頼ることは未熟な自分と向き合う事でも有るのだと。心身のあり様と誠実であるかないか。それを助け、知らしめてくれるのが道具。
立抜刀:左膝行突での三角について話す。撞き込む動作に際して守るべきことなので、忘れずに出来るようになってほしい動き。攻・守は動きおいては渾然一体となっているのが、最善となりあとは意図と割合の問題となる。
坐居合:七本目を中心に稽古。この日は軸による浮身を中心に練習。初心は鞘引きをその先は浮身と鞘引きの一致と橦木のつくり、現状は最後が右手の扱いか。自分はまだその中間かと思う。古傳の表現では体を右に捌き・刀を肩に担ぎ退くことで斬る。道理としては正しく勢いをいかし仕留める動き。先ずは師伝を出来るようになってから。
剣術:古傳の型を借りて、切落の稽古。向身からの後先で勝を得る形でしっかりと。身体が馴染んだ感じがあったので三角切留(高伝)での動きを練習。寄太刀の刀を高いところで捉え切込んで取る形となる。
二刀:向満字・柳雪刀・無拍子
柳雪刀:左手の小太刀と右の大太刀を車に構えるところから。打太刀としては小太刀をどの様にするかが攻めの主となる。小太刀を正しく使える相手に対して間を侵されることは負けを意味する。この感覚を知り掴むことも小太刀を先に学ぶ意味。仕太刀側はその間合いの外で誘いをかけて身体を間合いに入れる。打ち込ませて後方から真向に大太刀で斬り落とす。型名が現す様に動くことが最上であるが、儘ならないこその稽古。体の入替を意識して刀を扱えるように。
無拍子;数年ぶりに稽古する。型の意図と形は単純明快であるが理解・感覚を掴むためには打太刀・仕太刀両方の稽古が必要になる。技術として得るのであれば、仕太刀だけで十二分であるが。この辺りは適正次第かと思う。打太刀すると技術の習得には、時間は掛かるが理屈の理解は早くなる。その理を身体に落し込めれば習得に時間は必要としない